WE THREE KINGS

とうとう明日はクリスマス。辛いことの多い年でした。


WE THREE KINGS
1857(John Henry Hopkins Jr.) Jennifer Avalon


We three kings of Orient are
Bearing gifts we traverse afar


我らは東方に住む三人の王なり
贈物を携え、はるばる訪ねたり
野を、泉を、沼を、山々を越え
遠く輝く一つの星を指し来たり


奇跡の星よ、夜を照らす星よ
高貴な美しさを湛え輝く星よ
西へと招き、さらに歩を進め
我らを完全な光へと導かんや


ベツレヘムの野に王は生まれん
我が携えるは黄金、冠にやせむ
王よ、とこしえに止むことなく
我らを皆、漏らさず導きたまえ


我が携えるは乳香、身に注がむ
神々しさの満ち溢れん香料なり
祈り、讃えん、皆のものと共に
気高き神なる方をば崇め奉らむ


我が携えるは没薬、苦き香水ぞ
憂き世の労苦を集めし香りなり
哀しみ、ため息、流血、臨終の
苦しみを冷たき墓所に封印せむ


奇跡の星よ、夜を照らす星よ
高貴な美しさを湛え輝く星よ
西へと招き、さらに歩を進め
我らを完全な光へと導かんや


今ぞ見よ、輝かしき方の現れを
我らの王にして、神なる贖い主
ハレルヤ、ハレルヤ、地に空に
我らの声ぞ木霊し満ち満ちたり


新約聖書に、イエスが生まれた夜、東方から三人の博士が訪れたとある。何の博士だったんでしょう? 天文学なのかな。その夜、一つの星がひときわ明るく輝いた。これは吉兆か、それとも天災の前兆か。それを確かめるため、ベツレヘムにやって来た博士たち。不思議なエピソードなんですよね。なぜ東方なのか。たぶん異教徒なのでしょう。身近な人たちには、ただ一人の赤子が生まれただけ。けれどその意味を知るのは、日常に埋没しない異邦人の目を通してである、と。
邦題『我らはきたりぬ』。ニューヨークの神学校で教鞭をとっていたホプキンズ牧師の作詞作曲。学校でのクリスマス・イベントで合唱するテーマ曲として作った。クリスマスを歌うのに、イエスを中心の据えるのでなく、一般人代表の「三人の王」を登場させる形式。しかも初めはまだ、イエスに会ってない。ただ星に導かれるだけ。救世主誕生の確証はないまま、暗い荒野に馬を走らせる。そして最後に尋ね求めた幼子を見つけ、歓喜へと駆け上がっていく。


http://youtube.com/watch?v=fgm_dh2a31Q

Scrooged -Ltd-
Scrooged -Ltd-Original Soundtrack

La La Land 2011-11-29
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1988年映画『3人のゴースト』のサントラ盤。映画は、金儲けに現を抜かす男のところにクリスマス・イブの夜、三人のゴーストが現れ、この世の裏側を見せることで改心させる物語。ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』の現代版。というか、アメリカのクリスマス映画は、必ずと言って良いほど、この作品の翻案と言えます。なぜでしょう? 「クリスマス」のイメージに「自分の人生を振り返る日」がある。ただの祭りじゃない。それも、神様が現れ説教するのでもない。いろんな時期の自分を見つめ直すことで、内側から考えを改める。そうした特別な日。「3人のゴースト」が現れるのも、三人の東方博士が姿を変えたもの。彼らが異界から携えて来るのは「別の視点」という贈り物。
そんなわけで、この映画。音楽がマイルスなんです。


http://youtube.com/watch?v=4t-SueJC8iI
異界から贈り物を携え、今年もサンタは大忙し。