けものフレンズの公式短編第12.1話「ばすてき」が出たよ

たつき監督、すっごーい。


YouTubeに難民キャンプ

新しい映像が公開されています。たつき監督が趣味で作ったものとか。確かに短いけれど、スタッフは本編のまま。しかも続きも出そうな展開です。


コンセプト

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プロデューサーの人のインタビュー。これを読んで思うけど、けものフレンズのコンセプトは他の深夜アニメと一線を画している。それが「違和感」になっていて、だから最後まで見続けることができたのかな。グッズを売るとか度外視しているもの。


梶井:アニメ作品に限りませんが、たいていは1クールなりで終わって、それまでです。仮にBDやグッズ、原作本が売れて、海外にも番組が売れて大成功となって2期やりましょうとなっても、結局は消費されるだけの運命です。『けものフレンズ』は、そういう作品にはしたくなかった。

こんなふうに言えるなんて、作品に愛があるなあ。


まとめ

コンテンツを売る時代は終わった、という感想。コンセプトを出して、それを息長く深めていく方向にコマーシャル・モデルが変わってきました。だから、監督が自主作品として新作を出すことが、誰からも咎められない。通常のドラマやアニメなら、まず考えられません。コンテンツの個人使用になるから、スポンサーが許すとは思えません。それがまかり通ってしまうところに「けものフレンズ」の特殊性があります。

コンセプト志向というのは、振り返ってみると、別に新しい事態ではないかも知れない。ポケモンだって、そうです。ゲームがあって、アニメになって、漫画になって、いろんな人たちが二次創作の題材としている。そのことでポケモンの世界は朽ちることなく、今も存続しています。新しい世代がファンとして入門し、古い世代は「俺もそろそろ卒業か」と言いながら、旅立っていく。その点からすれば「ガンダム」も同じようにコンセプト志向だろうし、東方幻想郷もそのハシリにあるでしょう。

でも、けものフレンズは「子ども」や「オタク」をターゲットにしていません。そこには初めから「卒業」が仕組まれていない。たぶん、第1話はオタクにウケないように作ってあります。媚びていない。やたら間延びした空気が漂っていて、それは「科学ドキュメンタリー」の時間感覚に近いんじゃないかと思う。だから、アニメとして観てしまうと「一話切り」という事態になる。リスキーなことをしています。小刻みにウケを狙う「バラエティ」ではなく、ただただ「サバンナ」という舞台が主役にする「ドキュメンタリー」になっている。わざわざ動物園に取材したインタビューも流し、何目何科の動物なのかも明示する。アニメとして理解されることを拒んでいる。

何かこんなドラマを昔見たなあ、と考えたら、思い当たりました。ピンキーとキラーズの『青空に飛び出せ!』です。たいていの人は知らないでしょう。僕もよく覚えていません。ピンキーとキラーズという5人組のグループがバスに乗って旅をし、そこで出会った人との交流を描くドラマ。1969年放送だから、再放送を見たのかな。脚本はあるけれど、まるで実話の旅行のように描かれ、津々浦々を紹介する観光番組になっていました。日本って広いなあ、と子どもながらに思った。あの雰囲気ですね、けものフレンズは。

日本のいろいろなところに人間がいて、それぞれ自分だけの悩みを抱えている。誰もが生きている。そういうメッセージを持ったドラマだったと思います。ウソの世界なのにリアリティがある。出会いがあり、悩む人がいて、親身に関わる人がいて、別れがある。その反復にリアリティが宿る。

けものフレンズはそれを受け継いでいるように感じました。だから放送が終わっても「まだこの世界を見ていたい」という感想が湧いてくる。もし、ストーリーを観ているなら、こんな感想は出てきませんよ。話は終わっているのだから。「ドキュメンタリー」であるから視聴者は「この世界」に関心を持ち続けることができるのです。