【2016年新春企画】Wikipediaを読む「初詣」

新年だし、新しいネタに挑戦してみます。ズバリ「Wikipediaを読む」。Wikipediaでキーワードを検索し、語彙を増やしていこうという企画です。安直ですね。初期投資が掛からず他力本願なところが続けやすそうという動機。でも、意外と知らない事実がこの世界に隠れている。Wikipediaを取っ掛かりに、妄想を膨らませていきたいと思います。


第一回のお題は「初詣」

今年は暖かな晴天に恵まれ、外出しやすい好日が続いています。お正月に出掛けるなら神社仏閣。「初詣」をWikipediaで調べると下記のような歴史がありました。


「年籠り」形式を踏まず、単に寺社に「元日詣」を行うだけの初詣が習慣化したのはそれほど古い時代ではなく、明治中期のこととされている。
via 初詣 - Wikipedia

意外と新しい風習なんですね。どうやら江戸時代までは、一家から一人、代表を神社に出していたらしい。大晦日から元日まで、家長が境内に閉じ込められた。これを「年籠り」と言う。神嘗祭と同じでしょうか。年の切り替わる瞬間、大歳神が地上に降臨し、人とともに呑み食いすることで、次の一年を生きるためのエネルギーを人間側に授けていた。


お年玉


「たま」とは、「たましい」のことであり、「としだま」とは新年を司る年神への供え物の下げられたもののことであると民俗学的には説明される。供え物には祀った神霊の分霊が宿るとされ、それを頂くことにより、人々は力を更新して新たな一年に備えるのである。
via お年玉 - Wikipedia

朝日とともに家長は帰り、家族全員にエネルギーの分配を行いました。それが「お年玉」と呼ばれた。「たま」は「魂」であり、大歳神の魂が供えものに付着するとされています。残り物には福がある。神社で新年会を開き、食べ残しを折り箱に詰めて帰るイメージが浮かんだのですが、そんな呑気なことで良いんでしょうか。


大歳神


毎年正月に各家にやってくる来方神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。
via 年神 - Wikipedia

「年籠り」では氏子社に来訪するようですが、家ごとに門松を飾るのは家にも来るからなのでしょう。大歳神は家長に憑依し、各家に分散するシステムのように思います。家長は大歳神に成り切った。家族も、家長を大歳神と見なして接待したんじゃないか。
初詣になって原型は分かりにくいけれど、「異界から神が来て、各家庭にエネルギーを分配するシステム」は「サンタクロース」に引き継がれ、正月の前に移動したのかも知れません。家長が異装をし「来訪神」を演じる。それがクリスマスで済んでしまう。だから、正月は誰も籠らず、外出しても良い。変化しながら、変わらないところを残しています。


とんど焼き


民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。
via 左義長 - Wikipedia

大歳神を「歳徳(とんど)」と呼ぶことから「とんど焼」を連想し、調べてみると関連がありました。家長に憑依した大歳神は二週間各家庭で過ごし、とんど焼きで煙となって異界に帰るようです。とすると、天界から降りてきて天界に帰っていくんじゃないだろうか。柳田國男は山の神と見なしているけれど、もしそうなら門松を山との境界に運ぶ風習になっていると思います。ダルマを焼いて天界に帰す地方もあるから、常日頃は空の上から見守っていると考えられたのでしょう。


毬杖


毬杖(ぎっちょう)は、木製の槌(つち)をつけた木製の杖を振るい、木製の毬を相手陣に打ち込む遊び、またはその杖。振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)、玉ぶりぶりとも。
via 毬杖 - Wikipedia

左義長」の語源を調べると、不思議なスポーツに行き当たりました。木製の杖でボールを打ち込む? そう、平安時代に「ホッケー」をしていたのです。「玉ぶりぶり」なんて、平安貴族の口から発せられていたと考えると、いとおかし。この毬杖(スティック)を左手に持ち替えると「左義長(ひだりぎっちょ)」。ほうほう、サウスポーですね。でもそれがなぜ「とんど焼き」を意味するようになったんだろう?
「さぎちょう」には「三毬杖」という表記もあります。Wikipedia陰陽師が行う占いの話が出てくる。小正月に毬杖を三本立てて燃やし、その年の豊作を祈願したらしい。陰陽道由来のこの儀式と、民間のとんど焼きとが同一視され、現代では「さぎちょう」と呼ばれるのでしょう。しかし、それだと「左義長」という表記が常用される理由にはならない。


もしかして

とんど焼きの際、通常は右手で行うことを左手に持ち替える呪法があったのかも知れない。僕自身も左利きで「ぎっちょ」と呼ばれることがあるんですが、神社やお寺の作法には右左の決まりごとがあったりします。手水で手を清めるとき、まず右手で柄杓を持ち、左手から清める。唐代の風習が伝播し、左側を「尊い手」と見なし優先しているからです。
ここからは想像ですが、大歳神を迎え入れるときと、左義長で送り出すときとで、儀礼の手順を左右入れ替えたのではないでしょうか。左右を反対にすることで、入出力の方向を逆転させる呪術となった。正月は右手に持った小道具を、左義長では左手に持つ。だから「左利き」を意味する「左義長」がこの儀式の呼称にもなっている。
そんなふうに想像しましたが、真偽のほどは分かりません。「初詣」が習慣となった現代では、しめ縄に大歳神は宿っていない。どちらかというと、クリスマス・リースに「としだま」が取り憑いているかも知れないですね。そういえば、クリスマス・リースは最後にどうするんだろう? 教会でまとめて焼いてくれたりするのかな。