古田徹也『言葉の魂の哲学』

春の川には加速度がある。



要約

「ぴったりくる」「しっくりくる」「腑に落ちる」。いろいろ表現はあるけれど、文章を書くときの言葉選びは大切です。言葉に「いのち」を吹き込む。「たましい」を込める。人によって言い方は違っても、確かにある立体化の作業。ヴィトゲンシュタインの「アスペクト」やカール・クラウスの「ゲシュタルトゥング」という概念を援用しながら、この本では「それは何か」を取り扱っています。
言葉は情報伝達の側面だけではなく、意味を形作る創造的な側面も持っている。そこに焦点を当てていく。これが推理小説のように面白い。謎が謎を呼んで、なかなか結論が見えないところがいい。多義的で様々な連想を引き起こすからこそ「ここにはこの言葉しかない」という言葉の場を作り出している。エスペラントのような人工言語では不可能なことです。


連想したこと

言葉を立体化すること。それは連想の小径を四方に広げることだとすると、認知言語学で言う「概念メタファー」のバリエーションのように感じました。つまり、身体感覚に根ざした言語体系をメタファーにして、抽象的な概念を身体に閉じ合わせる作業。「常套句が氾濫する」という表現は「川が氾濫する」という光景を見た体験に根ざすことで身体を揺さぶる。あ、この場合の「揺さぶる」もそうですね。本当に身体が揺れるわけではないけれど、「揺さぶる」の体感に訴えかけることで意味を形成している。
とすると、言葉を選ぶとき、自分がどんなメタファーを使えるかを把握しておくことが大事なのかな。自分の身体に根ざしている言葉の場。抽象的な説明をするとき、まず自分が得意なフィールドに話を置き換えてみる。「アスペクト」って音楽で言えば何だろう。山登りに喩えるとどういうことだろうか。そういう風に身体が考えやすいところに言葉を託し、その卵が孵るのを待つ感じで。言葉が多義的に立ち現れるのを待ち、書き留める。


気になること

「伝達する側面」と「形成する側面」を分けて、一般的な言葉の扱われ方が前者、つまり「コミュニケーション」に限られているため、後者の創造的な側面が弱体化している。言葉が薄っぺらくなっている、という現代社会への批判が本書には込められています。
でも、これが何か違和感を感じます。まあ、論旨を明瞭化するレトリックなのでしょうが、「確かに何かが伝わった」と感じるのは、話し手が「しっくりくる言葉を模索する作業」を丁寧に行なっているときだと思う。おざなりな言葉遣いだと何も心に残らない。そういうものはコミュニケーションでも何でもないでしょう。コミュニケーションはcom-uni-cationであり「ともに一つとなること」。そもそもが「病いへの感染」を表す言葉です。話し手のゲシュタルトゥングの作業に同調するとき、聞き手の側も同じ言葉の病いに罹る。それを「伝わる」と考えるほうが腑に落ちます。


まとめ

「要約」「連想したこと」「気になること」を並べると読書感想文が書ける。本の内容とは関係ないですけど、この本自体がこの3つの要素をくるくる回しているんですよね。ロンドのように回しながら、考察を深めている。それが読みやすく、しかも頭に残りやすい。そんな執筆構造が読み取れました。

今後、この形式を使えば感想文を量産できるんじゃないかしらん。